心の拠り所
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今朝のニュースにて、
「東北震災復興の今」についてのコーナーがありました。
現在でも非常に多くの方が、
未だ見つからない家族、
そしてその痕跡を
探す活動を続けております。
その中で、取材された男性(息子さんが行方不明)
がインタビューでお話されたのは、
「骨のかけらでもいいから見つかればと望んでいるけど、叶わないのかな、、、」
という言葉でした。
もはや、安否が絶望的なのは、
皆がわかりきっている。
また、あの津波に呑まれた中で、
遺品を探すことがいかに困難であるかも。
しかし、供養する対象、つまり
いなくなったその家族そのもの
と感じられるものが戻らなければ、
心の整理がつかないのだと。
しかし、
「こんなことをいつまでも続けていくわけにもいかないから、
今回の取材時の調査で区切りにしようと思う」
ともお話されておりました。
さて、タイトルの “心の拠り所“、
その男性を含む多くの遺族は、
まさにそれを失っているのだと思います。
今回の震災のご遺族のように、
必死にその心の拠り所を探し求める人もいれば、
逆に現代には、自ら心の拠り所となるべきもの(骨、お墓)を手放し、切り離そうとする人が増えつづけてもいます。
理不尽に奪われる場合と、
自ら意思を持って選ぶ場合とでは、
プロセスが180度違いますが、
結果として、”心の拠り所となるべきもの”を無くしていることは同じなのです。
しかしやはり私は、
“心の拠り所“は切り離すべきでない
と言いたい。
なぜならば、
人は無くしたときに、
始めてその大切さに気付く
からです。
現代の都市部を中心に、
多くの人が”切り離そう“としているものは、
“奪われ無くした“とき、かほどに狂おしいほど
、追い求めるものであることが実証されているからです。
森の国墓苑
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